真島ヒロという漫画家の作品には興味がありますが、なかなか切っ掛けがないので断片的にしか読んだことはありません。(TVアニメのRAVEは一応全部見たが)
しかし、まあいろいろな経緯があってフェアリーテイル1巻を手にとって読んでみることになりました。
非常に質の高い作品で、「うん、やはり真島ヒロは凄い」と思いました。
しかし、それと同時にある種の「軽さ」も違和感として感じました。
ルーシィの色気は扱いが軽いし、ナツもノリが軽い。アクエリアスの口調も軽い。フェアリーテイル本部も雑然と人が多くて軽い。
この作品はどうなのだろうか? 本当に傑作なのだろうか?
そんな気持ちを抱きつつ、そのままデスクサイドに置いておいたところ、しばしば手にとって見ている自分に気づきました。
さてここが最重要ポイントです。
「繰り返し手に取る以上、そうさせる何かがこの作品にはあるあはずだ。ではそれは何だろうか?」
この疑問に駆動されて、更に突っ込んでみました。
異様な深さを持つ作品 §
たとえば、「ルーシィの色気は扱いが軽い」という問題は、読み込んでいくとちょっと違うことに気づかされます。ルーシィ自身は、自分の色気をドライに手段と割り切って活用しているところがあります。彼女の真の望みは色気「も」手段として駆使しつつ、魔導士として上を目指すことです。腰に釣っている鞭や鍵は、それら「も」必要に応じて問題解決の手段として行使することをためらわないことを意味します。
一方で、ルーシィと向き合う男達も、色気が手段でしかないことを熟知しています。魔法屋は色気でほとんど値引きをしないし、誘拐集団も色気を商品価値としてしか見ていません。彼らが行おうとする「酷いこと」は、強姦ではなく奴隷の焼きごてを当てることです。
とすれば、「ルーシィの色気は扱いが軽い」のではなく、相応の価値を持つ駆け引きの道具として取引される「大人の世界」が描かれていることになります。
そのことは、第3話でバルカンやタウロスに色気が(悪い意味で)通用していることからも分かります。つまり、「人間の大人の世界」というレイヤーと、バルカンやタウロスのような「一種の獣人世界」のレイヤーでは常識が変わり、色気が持つ意味も変わるのです。
更に言えば、ルーシィは「人間の大人の世界」でも「一種の獣人世界」でも自分の色気を上手く扱うことに失敗しています。これが、ルーシィの持つ若さをアピールする表現になっています。
そのようにして考えてみると、他の要素もどれも異様に深いことに気づかされます。
アクエリアスの本音はどこか §
実は、アクエリアスの扱いが二重表現、あるいは反意表現ではないかという印象も受けるようになってきています。
表面的に見ると、アクエリアスはルーシィを嫌っているように見えます。しかし、単に嫌いであれば、「鍵を落とすな」と怖い顔で言うでしょうか? 口では船ではなくルーシィを流そうとしたかのように言っていますが、実際の行動としては依頼である船の移動を完了しています。実は、言葉とは違う本音がどこかにあるのかもしれない……という含みを残した描写のようにも思えます。
というわけで §
読み込んでいくとかなりの深さが待ちかまえているが、表面的にはそれを感じさせない軽いムードが卓越した表現力だと感じます。これは凄い作品かもしれません。
余談・ブルーは可愛い §
プルーは可愛いぞ! プーン!
ボンボンでプルーの犬日記だって読んだことあるしね! (数えるほどの回数だけど)